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2019年06月24日

感情の複雑さの話

こんにちわ
オークション代行(ヤフオク代行)リボンハムスターです。

世の中にはいろいろな人がいると思います。

例えばイスラム教でしたら豚肉を食べれないとか、受験前の受験生が居る家では勉強の邪魔をしないとか、通常人間関係であれば多種多様な
いろいろな配慮が必要なわけです。

私はイスラム教じゃないから、イスラム教の人の立場なんて知らない、日本に来たなら豚肉を食べる事を受け入れたらというのも違うと思いますし、少数派だからといろいろな事で、少数派意見だからと軽んじられる事も違うと思います。

例えば、同じ車内で車に乗る時、煙草の煙が気になる人もいれば、気にならない人もいるでしょう。

自分の家に、知らない人が、来るのが苦手という人だっているでしょう。

いろんな考えの人がいます。

誰が正しいとかでは無いと思います。

例えば、住んでいたアパートを退去したら、不動産屋さんに鍵を返すのはマナーですよね。

悪用なんかしないと言ったとしても、気持ちの問題もあると思います。

その人は、自分の場合、自分の新しい住居の合鍵を、おいそれと人に渡す事はできるのでしょうか。

逆の立場だったら自分が受け入れられる事か考えてみたらわかるんじゃないでしょうか。

自分ができない事を、人に求めていないかとか考えてみたらどうでしょうか。

仮に悪用しないとしても、住んでいない人が、合鍵を持つのは釈然としません。

それに、誰だって、パーソナルスペースというものがあります。

いくら、お金や物を貰えても、だからといって、パーソナルスペースを主張するなという交換条件にはならないのです。

誰だって、パーソナルスペースがあるのですから。

自分だったらとか、自分の家族だったらに置き換えて考えたら、パーソナルスペースを侵食する事で、嫌がる人だって普通な事です。

何でも受け入れろという、綺麗事だけでは一般人としては納得いかないのです。

受け入れろという言葉には、一方的な押し付けがあります。受け入れられない人の気持ちや意見をわかっていません。

誰だって、苦手な食べ物や、苦手な事あります。それを、そんな事じゃダメだと、不愉快だと思ったとしても、それは気にならない側の一方の言い分に過ぎないからです。

何が正しくて、何が間違っているとか、それぞれの立場で、考えや正義があるので、一概に言えないですが、世の中に多くの人間が居て、

一人一人、考え方も、いろいろ異なるのです。

それを、貴方は、社会経験が無いからとか、ひきこもりだからだとか、未婚だからとかで、意見を言える立場なのかとか、思ったとしても、

人間誰だって、それぞれの意見があり、それぞれの主張ができて当たりまえなのです。

(ちなみに私は10代〜20代の頃はアルバイトや派遣社員や短い勤務のものも含めると、おそらく20以上の職場を経験しています。思い出したら30くらい行くかもしれません。)

社会にも何にもまれていないわけじゃないと思います。酸いと甘いでしたら、どちらかと言ったら殆ど辛酸をなめることが多かったでしょう。

それでもお金を稼ぐ為とかで勤めてきました。嫌な事や我慢できない事だってそこそこありました。楽しい事や経験になる事もありました。

人生は嫌な事だけじゃないのかもしれません。たとえ一時的には辛くても、それは経験になるのですから。

相手の立場になって考えると言う事は、それぞれ、性別も年齢も違うので、相手の立場を推し量る事は、完璧にできる事では無いですが。

それに、私は生活保護ではありませんが、
例えば、生活保護を受けて、国から支援してもらっている人とかは、そうじゃない人に対して、何か意見を言ってはダメなのですか?

仮に、職務経験や社会経験が無い人が居たとしても、それを理由に、意見すら言えないのも違うと思います。

問答無用で受け入れろというのは違うからです。

立場と、感情、パーソナルスペース、権利とかは別問題なのです。

もし自分の親や兄弟が、家の中では落ち着きたいから、知らない友達を連れてこないで欲しいというのなら、その気持ちを真摯に受け止め汲んであげるのも思いやりではないでしょうか。

何でもウェルカムにしていたら、パーソナルスペースも、成り立ちません。

何でもウェルカムにしたいなら、まず相手に与える事も大切です。

自分は与えていないのに、与えなさいというのは説得力が無いからです。

どちらが先に与えても良いとしても、だからといって、譲れないもの、スペースとかいろいろ人はあって当たり前だからです。

例えば、受験生、例えば、新婚夫婦、それぞれに違ったパーソナルスペースはあるものです。

学校に行くなというユーチューバーの、ゆたぼん君の主張。

これが正しいか、間違っているか、それって思う人によって変わる事だからです。

私としては、別に間違ってもないし、正しくも無い、ケースバイケースだと思いますし、私としては、できれば学校教育も大切だとは思います。

物事の結果ってすぐにわかるものじゃないですし。何が良い人生で何が悪い人生でとかも、結果だけでは無いからです。

結局いつかは生き物は亡くなってしまいますが、亡くなる日が最悪だとしても、それまでの間長い間、自分にとって良い日々だったら、それは良いのではないでしょうか。

終わり良ければ全てよしという言葉には、終わり方に怯えとらわれ、良い終わりに執着しているだけじゃないでしょうか。

やがて迎える終わりの日だけが人生じゃないです。

全ての人とわけ隔てなく仲良くするのが正しいわけでもないと思います。かと言って、その逆も正しいわけでもないと思います。

何でも中庸が肝心と、聞いた事がありますが、結局何が正しいかとか、それは間違っているとかなんて、感情の理論武装に過ぎないのです。

つまりこのブログの内容も、理論武装なのかもしれません。それはお互いに立場もいろいろ違うのですから、それぞれに主張や、いろいろあるでしょう。それは当たり前な事です。

人間なんだから人間関係を円滑にしたりする為に、多少の礼儀とか、協調性とか必要なのは当たり前ではありますが、だからと言って、人間関係を重視しすぎて、パーソナルスペースとか、自分の生き方を蔑ろにしすぎるのも、難しい事だと思います。

我慢も大切だけど、本音も大切だと私は思います。

我慢は先延ばしに過ぎないのではないでしょうか。

我慢して解消する事がどれだけあるでしょうか。

https://www.lifehacker.jp/2015/05/150522_confrontation_learned.html

https://note.mu/newyorklife/n/n7e71cd6c8ae1

https://haken.adecco.co.jp/useful/workupstyle/work/12/


人間は不完全な存在です。完璧な人間なんていないでしょう。

だから、それぞれに性格があり、相手の性格や主張にも一理があるのです。

法治国家で法律違反しているのならともかく、それ以外では、お互い同士で、長い目で、わかりあっていくしかないのではないでしょうか。

世の中には、陰キャとか、陽キャとか、パリピとか、いろいろな性格の人がいますから、陰キャな人に、陽キャやパリピの当たり前を当てはめようとしても、陰キャの人は戸惑うでしょう。

私自身、パリピじゃないので、どちらかと言ったら、陰キャだと思います。

世の中に、子供部屋おじさんとか、子供部屋おばさんとか、いろいろなパワーワードがありますが、社会で問題だからという風潮で、世の中の人は左右されやすいですが。(煙草も、昔は映画とかアニメとかでも頻繁に演出されていましたが、最近では煙草=悪みたいな風潮で大衆誘導されている気配も感じます。)

子供部屋おじさんとかそういうのも、ある意味、大衆誘導ではあると思います。

子供部屋おじさんが、そこまで悪いかどうかなんて、そんな事を他人が言い切るのは、とてもおこがましい事だからです。

優劣とかそういう問題だけが全てじゃないからです。

人間にも値段があり、社会的な順位があるかもしれませんが、それは間違っていると思います。

たとえ、貧しくて、社会的に価値が無い人ですら、そんなのを世間が決める事じゃないからです。

社会に有用な人だけが、貴重な存在ではないからです。

最低限、神様が悲しむような事を、他人にしてしまうような事や犯罪とかは、人間社会の一員として、できるだけつつしまないといけないと思いますが、その人のある一部だけを見て、例えば、仕事や収入、立場とかを理由に、批判や差別するのは違うと思います。

人間どんなに貧しくて、例え、何も持たなくても、その人にはその人の、意思や自我、意見主張、理想の生き方とかがあるのは忘れていけないと思います。

本当に立派な人は、たとえ立場が上であっても、弱い立場の人を思いやれる人、自分の正義を押し付けない人なのではないでしょうか。

私も自分の正義や主張を相手に言う事はありますから、私は立派ではなく、ただのわがままなのかもしれません。

ですが、人間とは元からわがままな生き物です。誰だって自分の中ではわがままで生きて当たり前です。

1度でもわがままを言った事がなく、1度でも人に対して反論や怒ったりした事が無い人がいるでしょうか。

人間は自我の違い他人同士が、時にぶつかったり、仲直りしながらも、生きていっている社会なのだと思います。

仏陀は、この世に批判されない人はいないといいます。

だから他人の批判を気にしてはきりがないのです。

他人は、自分ではないからです。家族ですら自分ではありません。

勿論中には、アドバイスだったり、気づきだったりする事は沢山あるでしょう。

相手や他人の指摘が、自分を成長させたりする為に役に立つ事だってあるとは思います。

だからって相手の主張や指摘を全て受け入れていたら、それは自分の人生と言えるでしょうか。

昔は親が結婚相手を選んでいた時代もありましたが、今ではそういう事はかなり減ったと思います。

時代時代の当たり前というものは、変わっていくのは仕方ありません。

話が長くなりましたが、反省すべき点は反省し、失敗は受け止めて、次回の参考にするしかないと思います。

人間それぞれ感情がありますし、感情はいろいろですから。

罪を憎んで人を憎まずという言葉がありますが、人を憎む事は悲しい事です。

憎しみの感情はなるべくなくしてしまわないといけない事だと思います。喜怒哀楽はあっても、憎む事はあまり良く無いからです。

誰もが一時的な喜怒哀楽はあるでしょう。でも、いつまでも恨んだり、憎しみを持つのは、良く無いと思います。

内容がまばらになりましたが、思う事を書きました。












posted by ハムたん | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする