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2019年07月30日

祈りと行動

こんにちわ
オークション代行(ヤフオク代行)リボンハムスターです。

何かあると、お祈りしますとか、祈ってくださいとか、宗教に携わっている人は身近な祈りについて、

宗教家も人間です。俗世の人もいるでしょう。祈りに特別な力がある人もいるかもしれませんが、祈っても世の中はどんどん不安定になっています。

何故か。それは問題が起きても、祈る事で現実逃避したり、問題について他力本願にて問題によるストレスを解決してしまうからではないでしょうか。

祈りの全てを否定はしません。それは祈りとは、願いであり、願いは、行動につながるからです。

しかし、見せ掛けの祈りや願いは行動につながりません。

何かあると、祈りましょうとか、祈りますとか。その場は祈っても、すぐ別の事を考えて、問題の事をすっかり忘れてしまいませんか。

祈る事で何か良い事をした気になってるだけで、結局何も世の中の問題に対して、目を背けているだけではないのでしょうか。

祈る事が悪い事では無いと思います。私たちだって普段から、祈り事は身近にあります。

平和や、安全、成就、いろいろな事を祈ります。それは、宝くじを買う人が多いように、良い事があるようにと思いたい気持ちの表れでもあるのは、人間ですから仕方ないとは思いますが、

もし空腹や喉の渇きがある時に、祈りよりも、食べ物や水を欲しいと誰もが思うのではないでしょうか。

不治の病で、どうにもならない時には、人に完治を祈られたり、亡くなった者へ、弔いの意味で冥福を祈られたりする事はありがたいかもしれません。

しかし、諸問題の全てについて、祈っているだけというのは、どうなのでしょう。
問題に対しての無関心より良いとは思いますし、祈りあって、次に行動が生まれる事にもなりますし、本心からの祈りなら何か解決する力を持つでしょう。

それに問題と向き合ってばかりいてもきりがなく、簡単にどうにか解決できるわけでもない状況で、様々な問題から対岸の火事のように傍観してしまいたくなる事は普通にあるでしょう。
人間は神様では無いからできない事も沢山あるでしょう。

水は、ライターの火で少し温めたくらいでは沸騰しませんが、かなり暖めると沸騰し始めます。祈りも、その祈りや願いが強ければ、持続的であれば、それは単なる祈りや神頼みの域を超え、自らの行動として現われるのかもしれません。

祈りや願いだけで、神様がその祈りや願いを聞き届けてくれるなら、この世で不幸な事は殆どないのではないでしょうか。

東日本大震災でも大勢が被害を受けましたが、その人達も、祈ったり願ったりしていたでしょう。

ウイグルの問題や、世界各地の紛争でも、被害者達も平和とか人権を祈ったり願ったりしていたでしょう。

社会的に影響力や尊敬を集めている立場の人が、祈りという事だけで何もしないなら、それはあまり良く無いお手本ではないでしょうか。

祈りには、行動が伴って初めて何かを変える力があるのではないでしょうか。

クラスでいじめられている子が居て、学級院長や、先生が、いじめられないように祈っているだけで問題は解決するでしょうか。

いじめ自殺があった子を、傍観したり、見てみぬふりをしていた人達が、あとあと成仏とかを祈るだけで、その子の無念は消えますか。

その子の命は帰ってきますか。

祈りが必ずしも無駄ではないと思います、何故なら、たとえ、問題が過ぎ、手遅れでも、それについて、祈りや反省する事で、次につながるかもしれないからです。

例えば、A君は亡くなってしまったけど、次、同じような事があったら、次はいじめを止めようとか思う気持ちが生まれるかもしれないからです。

そう考えると、祈りも意味があるとは思いますが、前述したように、水が沸騰する為には、ある程度火力が必要ですから、祈りも強い願いや思いがなければ、なかなか沸騰しないと思います。

パフォーマンスの祈りでは、偽物の火で水を沸かすようなものです。祈る時は真剣に心の底から祈らなければならないと思います。

祈りますといいながら、水を沸騰させられない祈りを続けている、いつまでも水が沸騰しないのなら、それは、その人のできる力の限界でもあり、または、使命ではないのかもしれません。

自然災害とか、人間の力でどうにもならない事は度々起きていますが、それを神様に祈る事を自由です。しかし祈る事で、本当に災害とか無くなると言えますか。

災害が起きているのは、神様が守ってくれなかったからというのでしょうか。

地球という星に生きている以上、天候の変化とかいろいろ普通に起こりえます、それは神様が管理しているわけではないでしょう。

私も、地震が起きたりすると、神様に頼ってしまいますが、それは個人的な自由です。

ただ社会問題を全ての人が祈るだけで、良い事した気で、すませているのなら、それはただの自己満足であり、役目や使命を果たしているとは言えないでしょう。

全ての人がそういった世の中の為の使命とかに携われるわけではないのですが、祈りは良い面もありますが、祈るだけで、何もしないのなら、
どうかなぁと思います。

飢饉が起きた際に、祈りよりも一杯のご飯を与えてもらった方が良いように、祈るだけで、実際に行動しないのなら、それは、本当に祈っているのでしょうか。

自分の足で歩けて、意思表示する口もある、それなのに、誰かが解決してくれないかとか、都合よく雨が降りますようにとか祈っているだけで、権力者が溜め込んだ米蔵の米を開放する事など危険な事はしない、自分は手を汚さないそういった、人がどれくらいいるでしょうか。

もちろんそうそうできる事ではありません。

過去に大勢が飢餓で苦しんだ時、大塩平八郎や、生田万が、立ち上がりました。彼らの中にも、勿論、祈りや願いはあった事でしょう。

祈る際は、祈るだけでなく何か、ささやかでも行動も伴えるように、祈りだけでなく、行動にて愛を示す事ができますように。

祈る事に慣れすぎて、祈る事しかしない事だけに慣れすぎない事も大切ではないでしょうか。

つまり沸騰しない程度に祈りを繰り返す事に慣れてしまう。

沸騰する事だけが良い事でもなく、お風呂やお茶にも適温があるように、少し暖まった湯にも様々な利点はありますが、

でもやはり強い祈りや願いでないとなかなか変わらない事は多いでしょう。それに沸騰した水は熱すぎて取扱いも難しいです。

本当に祈るのなら心の底から祈る以外は、自分自身を欺く悪い習慣かもしれません。

心の底から祈り、そして祈りや願いに伴う行動を表せる事ができますように。

posted by ハムたん | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする